あたらしいを、あたりまえに J:COM

奨励会支援および「J:COM賞」創設

日本の将棋界を担う若者たちを応援

J:COMは日本将棋連盟内の棋士養成機関である奨励会の運営に活用いただけるよう、毎年寄付を行います。奨励会への企業支援は当社が初となります。また、新たに棋士となる四段昇段者のこれまでの精進・努力を称え、棋士として活躍して頂くことを応援できる品物を「J:COM賞」として贈呈します。今後の大一番で着用していただくことを願い、2021年度はスーツ仕立券を贈呈しました。
「J:COM賞」の授与は、大会に参加する子どもたちの目標となる存在になってほしいとの願いから、「J:COM杯 3月のライオン 子ども将棋大会」の会場を中心に行います。
奨励会からは、通常、年間4人がプロ棋士になり、また原則26歳までという年齢制限の中、才能あふれる子供たちが切磋琢磨し、人間形成する場でもあります。 J:COMは、プロ棋士という狭き門に向かって一途に取り組む若者たちを応援してまいります。

参考: 2021年 8月3日 News Release(309KB)

  • ※敬称略
受賞年度 奨励会3段リーグ 新四段昇段者
2024年度 第75回 獺ヶ口笑保人 吉池隆真
第74回 山川泰熙 高橋佑二郎
2023年度 第73回 宮嶋健太 上野裕寿
第72回 小山直希 森本才跳
柵木幹太
棋士編入試験 小山怜央  
2022年度 第71回 藤本渚 齊藤裕也
第70回 岡部怜央 徳田拳士
2021年度 第69回 横山友紀 狩山幹生
第68回 井田明宏 高田明浩

2024年度 贈呈式

獺ヶ口 笑保人 四段
(2024/10/14子ども将棋大会東海大会内)

(左からJ:COM田口、獺ケ口笑保人四段、吉池隆真四段)

受賞コメント

私は第1回J:COM杯子ども将棋大会全国大会に参加しましたが、まず大阪大会で優勝して、初めて全国の大会に行ける、東京に行けると嬉しかったことを覚えています。全国大会で優勝できたことはその後の自信につながり、奨励会にもつながったと感じています。
当時、表彰式の時に米長邦雄先生から「この子は羽生(先生)くらいにはなります」と声をかけていただき、スーパースターにそう言ってもらえてとてもやる気が出ました。
米長先生はお会いする前から尊敬していて、おもしろくてリラックスしていて自然体で、棋譜も鋭い手が多いところもとても魅力的です。

三段リーグに上がった時は、なかなか勝てずに苦しみましたが、将棋の時間を増やしたことと相手の情報収集と分析をすることを心掛けていました。苦しい時も励みになったのは、自分の知らないところでも、影で見てくれている方、長く応援してくれる方の存在です。そういう方々にも、これからもいい報告ができたらいいなと思います。

今は大学で脳神経のシナプスを観察するための超顕微鏡技術の研究をしています。棋士を続けながら、少しでも多くの病気を解明していきたいです。
大学の研究と将棋はスケジュール的にも意外と両立ができ、将棋をどうブラッシュアップして自分を強くしていくかということを考えていました。特に年齢制限ぎりぎりで初段に上がってからは、自分の棋譜を分析し、抜本的に直そうとしました。普段は研究や将棋に熱中していますが、通学時の自転車で群馬の赤城のからっ風を感じながら走ることがリフレッシュになっています。

棋士はロングランなので身体にも気をつけながら大きな大会で優勝したいです。一局一局を積み重ねていき、ゆくゆくは棋戦で優勝したいと考えています。

今の将棋を楽しんでいる小中学生は、フレッシュな頭がうらやましいです。自分もできることなら戻って一から鍛えなおしたい。みなさんにはそのチャンスがあると思うので、頭があつくなるまで考え続けて将棋を上達させてほしいなと思います。論理的な思考能力や頑張ったという経験も一生役に立つと思います。

(左からJ:COM田口、獺ケ口笑保人四段、吉池隆真四段)

吉池 隆真 四段
(2024/10/14子ども将棋大会東海大会内)

(左から吉池隆真四段、獺ケ口笑保人四段)

受賞コメント

小学1年生の時に学童スクールで友達に将棋を教えてもらい、面白いなと思ったことがきっかけで、両親に頼んで教室や道場に通うようになりました。J:COM杯の神奈川大会に出場したときは準優勝でとても悔しかったですが、後手横歩取りで楽しんで指した記憶があります。決勝戦で鈴木大介先生が解説をされていて、対局に集中しながらも、その解説が面白かったことを覚えています。

二段から三段へ上がれない時期が約2年半あり、コロナ禍ということもあって、学校で友達と話したり遊んだりする時間がなかったことと勝てない時期が重なりとても苦しかったです。
そんな時、友達から「大丈夫、いつか上がれるから信じてるよ」と言ってもらい、その言葉がとてもうれしく、励みになりました。小学生のころから親が「自分の好きなようにやりなさい」と言ってくれていたこともあり、将棋一本でやっていこうと思っていました。周りの友達は大学生が多いですが、この挑戦を応援してくれています。

尊敬している棋士は永瀬拓矢九段です。研究会をご一緒させていただく中で言葉では言い表せない熱量がひしひしと感じることができて、そういった経験からもこのようにプロになれたと思っています。なかなか真似できるものではないですが、まずは意識の部分で近づきたいなと思っています。

今後は、いろいろな棋士の先生と指す機会があるので、楽しみつつ、勝ち星を積み上げてゆくゆくはタイトルを獲得できるような棋士になりたいです。

将棋以外では、サッカー観戦が趣味で、特にリヴァプールのモハメド・サラー選手の一生懸命に走る姿や、カウンターを得意としているところが好きです。
将棋での得意な戦法は「右玉」で、ずっと続けていて今でも指すことがあります。相手に攻めさせて、逆にいきなり攻めにかかるまさにカウンターといえる戦法です。

将棋は、時に楽しみよりも、負ける怖さが勝ってくるときがありますが、気楽に思いつめ過ぎずに指すことが大事だと思っています。大会に参加する子供たちにも、将棋は楽しいから指しているという気持ちを忘れずにいてほしいです。

(左から吉池隆真四段、獺ケ口笑保人四段)

高橋 佑二郎 四段
(2024/9/16子ども将棋大会関東大会内)

左から、J:COM大橋、高橋佑二郎四段

受賞コメント

皆さんの前で表彰していただく経験は、自分が子どもの頃、小学生大会に出て以来でしたので嬉しかったです。
私は父と兄が指しているのを見て、5歳頃から自然に将棋を指すようになりました。初めて出たのは、地元である船橋の小さな大会でした。最初のうちは全然勝てずに悔しかったですが、初めて一勝してからどんどん楽しくなり将棋を続けられました。また、父が毎週末必ず将棋大会や将棋教室に連れて行ってくれていたので、もっと勝ちたいと思うようになりました。

奨励会には、2011年9月に小6で入会しました。当初は習い事の延長戦のような気持ちでしたが、初日に先輩の殺気立った雰囲気を感じ、意識が変わったことを覚えています。
奨励会の同期には、2年前にJ:COM賞を受賞された同級生の岡部怜央四段がいます。彼がすごい勢いで前へ進んで行くので、それを必死に追いかけていました。今も岡部さんの背中を追っています。
三段に上がったのは、2020年9月です。コロナ禍により、研究会や奨励会もすべて延期になった期間でしたが、その数か月が自分を見つめなおす時間になりました。将棋が指せることはありがたいことだったと再認識し、それが三段にあがるきっかけになったと感じています。
また、その頃から、AIをつかった序盤研究の割合も増えました。自分は序盤の精度が上の方に比べて足りないという気持ちがありましたが、研究により改善でき、三段にあがる原動力になりました。
三段リーグに進んでからは、特に佐々木勇気八段にお世話になりました。多い時は週に4回5回と研究会に集まり、岡部さん含め皆で終電まで指すことも多かったです。一手一手を厳しく見つめなおすことで急に実力が伸びたと感じています。
三段リーグ最終日には、岡部さんも駆けつけてくれ、終わった後の打ち上げにも参加してくれました。他にも、佐々木勇気さん・斎藤明日斗さんなど、お世話になった先輩方にも集まっていただきありがたかったです。

将棋以外の趣味は、散歩です。最寄り駅から2~3駅手前で降りて歩いて帰るのは気分転換になります。最近はありがたいことに様々な地方に呼んでいただく機会があり、遠征先での散策や、地ビールなどご当地のお酒も楽しみの一つです。

現在対局は予選の一番下から始まりますが、年度内には、そこから勝ち上がり棋戦の本戦入りしたいです。長期的には、40代50代も第一線で活躍して、生涯600勝(将棋栄誉賞)することを目標にしています。
憧れの棋士は、今日審判長でいらしている森内先生と、羽生先生です。羽生先生と森内先生のお2人の対局が名人戦というものだと勘違いするほど、子ども時代にずっとお2人の戦いを見て育ちました。

将棋は一度ルールを覚えてしまえば、いくつになっても指せる素晴らしい競技だと思います。最初のうちは勝ち負けにこだわらずに楽しんでほしいです。
棋士を目指されるお子さんには厳しい道のりが待っているかと思いますが、今日のJ:COM杯など、大会での楽しかった思い出を忘れずに、また奨励会に入った時もその気持ちを忘れずにいてほしいです。そして棋士を目指されない方も、将棋を通し、大人になった時に思い返せるような楽しい思い出をつくってほしいと思います。

左から、J:COM大橋、高橋佑二郎四段

山川 泰熙 四段
(2024/7/27子ども将棋大会東北大会内)

左から、ジェイコム埼玉・東日本 平岩、J:COM田口、山川泰熙四段、先崎学九段、加藤結李愛女流二段、囲碁・将棋チャンネル今井様

受賞コメント

J:COM賞については、過去受賞された先輩棋士から話を聞いていて、大変ありがたいと感じていました。奨励会は日の当たらない場所で、なかなかフォーカスされることがないため、スポットライトをあてていただき自分の努力を評価していただけることを素直にうれしく思います。
将棋との出会いは小学1年生の頃。仙台の地で覚えました。父親から教わり、天童や仙台の教室に行って将棋を指していました。いつか棋士になって東北に帰ってきたいと思っていたので、今回目標が達成できました。この大会も多くの方が参加してくれましたが、もっと将棋人口を増やし、さらに人を呼べるよう、東北のみならず全国で子どもたちの普及に役立ちたいと壇上で感じました。

J:COM杯は自身が子どもの頃にはまだ無く、参加できる子どもたちがうらやましいです。まとまった地区大会があり、かつ全国大会につながる形式は、予選と本選がある公式戦にもどこか似通った部分があり、特別なものに感じます。
同じ地域の強い子と指すのも楽しいですが、全国の子たちと指せる機会は貴重です。将棋はひとりひとり微妙に違ってくるもので、様々な人と対局する中であらたな発見や楽しさがあるものだと思います。自分も小学生の時は、全国各地の強者とさせるのが楽しかったことを思い出しました。
子どもの頃の記憶では、特に小学生将棋名人戦で準優勝したことが印象に残っています。優勝したこともあるのですが、尊敬する羽生先生が解説だった年に準優勝となってしまった悔しさの方が思い出深いです。

奨励会には13期、6年半いたのですが、やはり三段リーグが特に印象に残っています。昇段していく先輩方の背中を見ながら、自分に足りないものは何かを日々もがきながら探すのは苦しい作業でした。その中で、多くの人に助けてもらいましたが、特に母親は自分以上に自分のことを考えサポートしてくれる存在でした。昇段を電話で報告した時もとても喜んでくれ、本当は泣きたかったそうですが、既に泣いていた自分に対し、かえって冷静に「これから記者会見があるんだから、泣いていちゃだめだよ」とはっぱをかけてくれました。昇段時は、自分が嬉しいという気持ち以上に、周りに良い報告ができる、とほっとした気持ちが強かったです。
こうした大会など、将棋界は改めて多くの方のご協力で成り立っていると改めて感謝の想いが溢れます。棋士は将棋しかできないものですが、これからも応援してくださっている方々に将棋界を支援して良かった、と思ってもらえる将棋を指したいと強く思っています。また、普及の面でも、将棋について子どもたちに何か接点をつくれるような活動ができればと考えています。

憧れの存在は、羽生先生です。将棋は2人でつくりだす芸術的な面があると思いますが、羽生先生の将棋は芸術点がとても高いと感じます。私も、将来的に多くの人を魅了できる将棋指しになりたいです。
また、今の将棋界には、藤井七冠、伊藤叡王など、多くの手ごわい相手が上位にいますが、勝負師として、上を目指さないと意味がないと思っています。将来的にタイトルに絡む活躍できるよう、まずは若手の棋戦で優勝したいです。

将棋を長く続けると、もっと強くなりたい、大会で優勝したい、など、いろんな気持ちや焦りが出てくると思いますが、まずは将棋を楽しむ気持ちをどういう立場にあっても忘れないでほしいです。そして、自分が目標とすることに対し、焦らず、目の前の対局一つ一つを頑張るということを、将棋を指す方々に意識してほしいです。

左から、ジェイコム埼玉・東日本 平岩、J:COM田口、山川泰熙四段、先崎学九段、加藤結李愛女流二段、囲碁・将棋チャンネル今井様

2023年度 贈呈式

宮嶋 健太 四段
(2023/11/19 将棋の日in関西内)

左から、J:COM田口、宮嶋健太四段、上野裕寿四段

受賞コメント

私は6歳から将棋をはじめました。祖父に教わったのが最初です。子供教室に週5で通わせてもらったり、大会等も調べてくれたり、親に熱心に応援してもらいました。岐阜県の小学生名人代表にもなり、全国大会に進出しましたが、当時は勝つことと共に、自分が勝ち上がる中で強い人と指せる機会が生まれることが何よりうれしかったです。
J:COM杯は奨励会に入ったちょうど翌年に大会が始まったことを知り、とてもうらやましく思ったことを覚えています。地方大会から全国大会へ行けるという形のイベントも当時は少なく、強い相手と戦える良い機会だと感じていました。
J:COM賞に関しては、奨励会を戦っていく中で、このような賞があることは身近で仲の良い柵木さんや齊藤さんから聞いていて、四段になれたらこういうこともあるのだなと、モチベーションの一つになっていました。

自分が一番苦しかったのは、3年10か月程、初段で停滞していた時期です。同世代からも抜かれ、藤井八冠など年下の方にも抜かれ、自分の成長が見えずにとても苦しかったです。
そんな時期を乗り越えられたのは、AI研究を取り入れたことだと感じています。自分にはAI研究が向いていたのか、初段から二段にひとつあがり、三段には無駄星なしで上がることができました。
奨励会時代には藤井八冠の記録係を務めたこともありますが、棋士室で対局が終わった後に話を聞ける機会も多く、そうした経験は三段リーグでも活きたと感じています。

棋士になれないのでは、とも思いはじめていて、26歳で退会してから何をしようか考えていたりもしましたので、棋士になり、嬉しいというより、まずほっと安堵しました。昇段後はもっと上のステップにいきたい、という思いが日に日に強くなっていて、これからより一層がんばらないといけないと感じています。
これまで、どんどん抜かれていったので、これからは周囲を抜き返したい思いがあります。まず順位戦を1期抜けして、五段になるのが直近の目標です。日々着実に進んでいきたいと思っています。

特に澤田真吾先生には精神的な面を含めアドバイスをいただくなど、とてもお世話になりました。澤田先生は研修会の東海の幹事をされていて、お弟子さんも多く、普及にも力を入れ、それでいてトップでも活躍されている憧れの存在です。自分もそうなれたらなという思いがあります。

普段の息抜きはスポーツ観戦です。小学生では野球、中学生ではバスケをしていて、運動や体を動かすことが好きです。今はなかなか自分でやる機会はないのですが、特に海外などのトップで活躍されている日本人選手を見ることがとても好きです。

何でもそうですが、将棋を楽しむことが一番大事だと思います。それによって質や熱中できる時間なども関係してきます。自分は、奨励会では将棋が楽しいと思えることはなかなかありませんでした。ただ、続けてこられたのは、将棋が好きだという気持ちがずっと変わらなかったからだと感じています。棋士になれたから言えることかもしれませんが、こうして熱中できることに出会えたことが幸せだと思っています。

左から、J:COM田口、宮嶋健太四段、上野裕寿四段

上野 裕寿 四段
(2023/11/19 将棋の日in関西内)

左から、J:COM田口、上野裕寿四段

受賞コメント

J:COM賞については過去受賞された先輩方から聞いていました。人前に出ることが多くなったので、スーツ仕立券がいただけることを嬉しく感じています。駒をいただけることも嬉しいです。(※J:COM杯全国大会出場者に贈られるもの)

私はアマ2段くらいの棋力の父から教えてもらい、5歳の時に将棋を始めました。小学1年生から加古川将棋クラブに通い始め、実力を伸ばしていました。
子どもの頃に参加した、一番大きな大会は小3の時に出た倉敷王将戦の低学年の部です。ここで全国優勝したのをきっかけに、プロを目指そうかな、と思うようになりました。
J:COM杯は、小6で参加した第4回大会で準優勝したことが記憶にあります。J:COM杯は小学生も中学生も出られることが特色だと思っていますが、決勝相手が同級生位の子で、「小学生には負けたくない」と思っていたのに、最後負けてしまい悔しかった記憶があります。
大会の翌月から奨励会に入り、中3で三段になりました。すぐプロになれるかな、と思いましたが、三段リーグで苦労し、抜けるのに5年かかりました。その時期がつらかったです。
地元である加古川は「棋士の町」ということで将棋も盛んです。そこでの応援の声はとても励みになりましたし、同じ井上一門の棋士をみならって自分もがんばることができたと感じています。

高校を卒業して、大学に進学せず将棋一本で、と決めてから、もう上がるしかないという強い気持ちで取り組み、将棋の勉強の時間も増えました。関西将棋会館で先輩に教えてもらうことや研究会への参加も増え、実力が伸びたと思っています。
井上一門では、研究会が月に2回加古川で開かれています。主に奨励会員が参加し、お互いに切磋琢磨している場です。誰かが昇段すると自分も負けていられないという思いが芽生え、狩山君や藤本君につづかないと、と刺激につながりました。
井上先生は、三段リーグで結果が出ていない時も「上野君なら大丈夫」と声をかけてくれたし、他にも弟子はいっぱいいるのに、一人一人を気にかけてくださり、感謝しています。

新人王戦では最速優勝という記録を残すことができましたが、これは三段のうちに決勝まで勝ち上がってこられたからだと感じており、三段リーグで苦労した経験が活き、地道に実力がつけられた結果であると受け止めています。
まだ新人王戦しか戦っていないので、今後他の棋戦でも活躍していきたいですし、タイトルをとれるように頑張りたいです。
また私は藤井聡太先生を目標にしていきたいと感じています。藤井先生は自分よりひとつ年上ですが、遠い存在に感じています。常に向上心を持っておられる点がすごいと思います。
新人王戦優勝の記念対局で藤井先生とたたかうことになるので、がんばりたいと感じています。

趣味はスポーツ観戦です。野球の阪神ファンで、テレビの試合を見るのが息抜きになっています。

強くなるための秘訣は、いっぱいいろんな人と対局することだと思っています。身近なライバルをみつけるのもいいし、年上の人に挑戦するでもいいと思います。将棋に取り組む子どもたちには、いろんな大会を通し色々な方と指すことを大事にがんばってほしいです。

左から、J:COM田口、上野裕寿四段

柵木 幹太 四段
(2023/10/9子ども将棋大会東海大会内)

左から、J:COM田口、柵木幹太四段

受賞コメント

小学校に入る前に父から将棋を教えてもらいました。はじめは地元の道場に通っていて、強くなるにつれて名古屋の教室へ通うようにもなりました。子供のころの大会で印象的なのは小学4年生から6年生の時に代表として出ていた倉敷王将戦で、黒田五段と戦い結果は一勝一敗でしたが、負けたときは結構悔しかったです。また、JT杯で優勝した時は、宮嶋四段と対局し186手の大熱戦でした。子供の時に今プロになっている方々と大会で当たっていたことはとても印象に残っています。

小学校6年生で奨励会に入り、全体では13年半所属しました。1級から2級に降級してつらかったですが、三段が7年(14期)と長すぎて過去のことはあまり覚えていません。大学院を休学して挑んだ11期目で初めての昇段のチャンスがあり、そこを逃したときは結構ショックでしたが、昇段争いができるなという感触もあり、そこから変わっていったと感じています。人生がかかった勝負をすることは中々ないので楽しんでやるか、という気持ちで挑んでいました。

奨励会の年齢制限が近づくにつれて昇段について触れにくくなると思うんですけど、地元の道場でお世話になっていた方々が集まって「いつも見てるから」と応援していただき励みになり、昇段した時にもお祝いしていただきました。増田師匠は、「強いから大丈夫、絶対に上がれる」といつも陰ながら支えてくださり、将棋に関しては「最後まであきらめるな」とアドバイスをいただきました。

将棋以外では、息抜きでカラオケにいったり、好きな漫画を読んだり、囲碁を打ったりしています。将棋を覚えたての頃は朝から晩まで囲碁・将棋チャンネルを見ていて、見ているだけでしたが囲碁も打てるようになっていました。現世では絶対に昇段すると思っていたので、他の職業のことを考えたことはないですが、生まれ変わったら研究者か、囲碁の棋士にもなりたいです。

今後の目標は、まずはフリークラスを抜けることです。少し対局が空くのでその間に土台をしっかり作って冬からの対局につなげていきたいです。目標としている棋士は豊島先生で、将棋のスタイル、取り組み方に加えて、第一人者にも関わらず今もスタイルを変えたりしているところも含めて尊敬しています。ほとんどファンみたいなものなので、棋士になってからも恐れ多くてあまり話したことはないです。

子供たちが大会に出る時、優勝したいという気持ちはもちろんですが、負けてしまった時も自由対局やプロ棋士との指導対局も含めて「何か一つでも楽しかった」と感じてもらえたらいいなと思います。そして周りの友達にも広めていってもらえたらいいなと思います。

左から、J:COM田口、柵木幹太四段

森本 才跳 四段
(2023/8/26子ども将棋大会関西大会内)

左から、J:COM田口、森本才跳四段

受賞コメント

小学5年生の時にJ:COM杯に参加しましたが、小学生名人をとっていたのに負けてしまい、まだまだ強い人がいるんだなと思った記憶があります。子どもの頃の大会だと、小学生名人戦と倉敷王将戦が小学生の中で一番強い人が決まるというイメージがあったので、特別感がありました。

将棋を始めたのは将棋好きの父から教えてもらったことがきっかけです。はじめは父と指していましたが、小学生に上がるころに関西将棋会館の将棋教室へ通うようになりました。初めての習い事で、何か一つ習い事をやってみようということで始めたので、まさかプロになるとは思っていませんでした。

小学5年生の時に奨励会に入ってから、実は3回やめようと思った時期がありました。
1回目は3級で1年半止まり、2級に上がって半年で落ちたときです。自分よりも後から奨励会に入った人に抜かれることもありました。2回目は1級で降級点がついて何とか消した後、またつきそうになったときです。そして3回目は三段で負け越しが2回続いたときです。その時は、師匠の小林健二九段から「諦めたら終わりだよ」という励ましの言葉をもらい、もう少しだけがんばってみようと思ってからは勝てるようになりました。精神的な気持ちの問題が大きかったのかなと思います。

四段に昇段した時は、師匠や同門の棋士の先生方、高校時代の友達からお祝いの連絡をもらいました。徳田拳士四段には「(三段リーグ最終日に)連勝すると思っていた」と言われたので、四段へ上がるムードがあったのかなと感じています。

将棋以外だと、ジムで筋トレをしています。負け越したときに気分転換でやってみたら勝てるようになったことがきっかけです。また、野球を見るのも好きで、阪急(現オリックス)ファンの親の影響で、小学5年生くらいからオリックスを応援しています。

今後の抱負は年間通算で6割勝つことです。目標としている人は、同じ四間飛車党の藤井猛先生です。藤井システムという戦法を作ったことはもちろん、今のAIに入れても最善手として出てくるのですごいと思います。難しいと思いますが、自分も森本システムなるものをいつかは実現できたらいいなと思います。

子どもたちには、将棋をとにかく楽しんでやってもらいたいです。また、同世代の人との交友関係も大事にしてもらいたいと思います。

左から、J:COM田口、森本才跳四段

小山 直希 四段
(2023/8/12子ども将棋大会関東大会内)

左から、囲碁・将棋チャンネル今井様 、J:COM田口、小山直希四段、先崎学九段、深浦康市九段、貞升南女流二段

受賞コメント

J:COM賞については、1年前に岡部怜央四段が受賞された時に知り、新四段に対してありがたい賞ができたと感じています。将棋というものの存在は小学2・3年生の頃から知っていましたが、小学4年生の冬に当時テレビ中継していた竜王戦を見てからのめりこむようになりました。初めは家族と指していましたが、小学4年生の間はPCの将棋ソフトでAIのレベルを設定して指すことが多かったです。将棋教室にも通っていましたが、その後も機械と戦うことが多くありました。
小学5年生の時に小学生名人戦に出場したことが印象に残っています。自分が東京都代表になれるかどうかというレベルで挑戦できる最初で最後のチャンスだったため、緊張して普段慣れない戦法をつかってしまい、あまり良いところが無く負けてしまいました。自分に実力がついていた実感があったからこそ緊張したのだと思います。
中学1年生で奨励会に入ってから三段に上がるまではそんなに苦労した思い出はないのですが、三段でプロになっていてもおかしくない人たちを相手に戦うようになってからは急に勝てなくなり、どうしたら勝てるのかをぐるぐる考えていた時期がありました。三段リーグを2、3年経験しましたが、二段以下の頃よりも必死で勉強し、自分の実力がついた実感がありました。ここ一年半くらいは自信がつき、なおかつそこそこ勝てるようになりました。学校との両立もあり、人との実戦が足りていませんでしたが、高校を卒業し、平日も将棋会館等に通い詰めて週に何度も人と指すようになったことも大きかったと思います。苦労していた時期も、家族はやりたいようにやればいい、という姿勢で受け入れてくれて、普段から食事を作ってくれたり、自分が体調を崩したときなども支えになってくれたりしました。
四段に昇段してからは、飯島篤也指導棋士五段の将棋教室に自分が指導する側にまわって参加するようになりました。子どもの頃に最初に行った教室で、その時からずっと、アマチュア時代も含め教えてもらっていました。将棋だけでなく、姿勢や礼節も教わった恩師であり、四段に昇段した日も見たことがないくらい喜んでくれました。お祝いの言葉もかけていただきましたが、「ここがスタートラインだから、もっと励むように」と激励を受けたことが特に印象に残っています。
今後の目標は、勝率もそうですが、何か棋戦の決勝や予選突破など目に見える分かりやすい結果を残せるような、大きなものがかかった勝負ができる場所にまず行きたいです。
憧れの人は、サッカー日本代表の三苫薫選手です。他にも素晴らしい選手がたくさんいますが、三苫選手の努力の過程や目標を目指す姿勢、結果をしっかり出すというところを含めて尊敬しています。
子どもたちには、負けたときに反省することも重要ですが、勝ったときに自分がなぜ勝てたかという分析も大事にしてほしいと思います。強くなるためには、自分が指した将棋を振り返ることの積み重ね、そしてそれを継続することが一番大事だと感じています。

左から、囲碁・将棋チャンネル今井様 、J:COM田口、小山直希四段、先崎学九段、深浦康市九段、貞升南女流二段

小山 怜央 四段
(2023/7/29子ども将棋大会東北大会内)

左から、囲碁・将棋チャンネル今井様 、J:COM田口、小山怜央四段、行方尚史九段、山根ことみ女流二段

受賞コメント

奨励会を経験していない自分がJ:COM賞の対象となると思っていなかったので、うれしい限りです。
子どもの頃の印象的な大会は、中学3年生で参加した中学生名人戦です。準決勝まで残り、局面も良かったはずが最後大逆転負けをしてしまいました。その悔しさは今でも思い返すほどの強い記憶です。J:COM杯を含め、子どもの頃のそうした体験は大人になっても思い出すのではないかと思います。
その後、奨励会試験と三段リーグ編入試験にも挑みましたが、どちらもダメで、将棋はもういいかな、と思っていた時期もあります。公式戦の結果も振るわず、編入試験についても意識はしていませんでしたが、勝ち星が集まってきた頃、成績もそうですが、それだけでなく、「自分の将棋を深化させる」可能性を感じ、本気で編入試験に挑むことを決めました。その為にはもっと将棋にかける時間が欲しいと感じ、会社を退職するという思い切った決断をしました。前々からやりたいと思っていたAIを中心とした勉強を始め、AIで研究したことを対面の対戦で試し、少しずつ修正して自分の将棋をつくりあげていきました。
編入試験は、今までの試験と違い、合格したら即プロになれる特別なものではありましたが、普段の対局と同じ気持ちで挑もうと考えていました。直近で負けていた時はプレッシャーがありましたが、苦しいのはあと1か月くらいだと言い聞かせて乗り切ることができました。

今回、東北大会での受賞となりましたが、高校生の時に被災した東日本大震災では色々なところから様々な方がボランティアやお見舞いに来てくださり、本当に色々な人の支えがあって乗り越えられたと思います。また、将棋に打ち込むことが支えにもなり、普段の生活が当たり前でないありがたみを知ることになりました。棋士として今回のような機会に自身の経験を語り、自分も今後東北の力になれたらな、と思っています。
本大会の審判長である行方先生には、小学生の時に指導対局を受けたり、震災の復興イベントでお会いしたりするなど、大事な場面でとてもお世話になっています。棋士になった時も喜んでくださり、「また研究会やろうね」と誘ってくださるなど、いつも気さくに接してくださり感謝しています。
現在自分はフリークラス棋士のため、そこを抜けるのが今後も大きな目標のひとつです。その為には、これまで編入試験に向けて頑張ってきたような努力を続けていくことが必要だと感じています。 私は豊島九段の序・中盤の研究が深く、研究がはずれてからも安定な指しを見せる将棋に憧れていて、その将棋に近づけるように頑張りたいと思っています。

私は中3で奨励会に落ちてしまい、一旦プロへの道をあきらめることになりました。しかし高校に入ってからも大会等へ参加し、「将棋が好き」だという気持ちがあったおかげで将棋を続けることができました。
棋士を目指すのは本当に大変なことです。負けが込んで落ち込むこともあると思いますが、将棋を好きで続けたい、という気持ちを持っていればきっと良い結果につながるはずです。子どもたちも、是非その気持ちを持ってがんばってもらいたいです。

左から、囲碁・将棋チャンネル今井様 、J:COM田口、小山怜央四段、行方尚史九段、山根ことみ女流二段

2022年度 贈呈式

藤本 渚 四段
(2023/1/21 第72期ALSOK杯王将戦七番勝負第2局高槻対局 大盤解説会内)

左から、J:COM田口、藤本渚四段、齊藤裕也四段

受賞コメント

将棋を始めたきっかけは両親です。父親はルールを知っている程度でしたが、6歳の誕生日(7月18日)に将棋を教えてもらい、指すようになりました。頑張っているうちに秋頃には父に勝てるようになりました。母親のすすめで将棋教室に通うようになり、最初は負けて悔しいだけでしたが、どうして負けたんだろう、と負けた理由を探り、それを克服する、というステップを踏めるようになってきました。
奨励会は、小学4年生の時に初めて受験し、落ちてしまいましたが、今思うと、驕りがあったと感じています。一次予選で3連敗し、苦い経験となりました。それを踏まえ、小学5年生の時に合格することができました。
将棋教室の遠征で加古川に行った時に、とてもレベルが高く驚いたことを覚えています。その時に今の師匠に出会い、ここに通いたい、ここに通えば強くなれるんじゃないか、と思いました。小学校を卒業するまでは高松から毎回車で通わせてもらい、中学では自分で電車で通いました。
高校からは、奨励会のために家族で大阪に引っ越しました。この引っ越しで父親は転職をすることにもなり、家族の期待や覚悟も背負い頑張らねばと思っていました。両親には大変な思いをさせたと思いますが、自分の将棋の可能性にかけてくれたことが嬉しく、ありがたく感じています。大阪に引っ越して初めての例会で二段に昇段し、そこから4か月で三段に上がり、突然調子が上がり勝てるようになりました。自分でも驚いた出来事です。
四段にこれほど早くなれると思っておらず、しばらくは放心状態でした。まだこの先もずっと競争が続いていくと思うので、しっかりと勉強にも向き合わねばと感じています。
昔であれば17歳でプロは若いのかもしれませんが、今は3歳上に絶対的強さを持つ存在がいらっしゃいます。例えば羽生先生がいたからタイトルにからめなかった、という棋士もいると思いますが、藤井先生もそのような存在になるのかな、と感じています。この状況をなんとかしないと、という危機感があり、自分よりかなり強い相手で大変だと思いますが、少しずつ差を詰めていかないといけないと思います。
目標は羽生先生です。いい意味で得意戦法がなく、何でも指せて強いというイメージです。知識もすごく、尊敬しています。
子どもたちには、強くなるには振り返ることが大事、ということを伝えたいです。将棋は勝つのも大事ですが、強くなる上では負けを振り返ることも重要だと感じています。また、楽しんで指すことも大切にしてほしいです。

左から、J:COM田口、藤本渚四段、齊藤裕也四段

齊藤 裕也 四段
(2023/1/21 第72期ALSOK杯王将戦七番勝負第2局高槻対局 大盤解説会内)

左から、J:COM田口、藤本渚四段、齊藤裕也四段

受賞コメント

自分と同年代の方や、切磋琢磨してきた仲間もまだ奨励会にいるので、そういった方々も含めて支援いただけることをすごくありがたいと感じています。普通だったら、棋戦優勝など勝って結果を残した人への賞贈呈が多い中で、陽の目のあたらない奨励会に目を向けてくださるというのは、奨励会で苦労した自分としてはすごくありがたいです。自分は運よくプロになれましたが、三段リーグ等も実力差は紙一重で、みな一様にがんばっていると感じています。
奨励会時代、苦労はしていましたが、そう言えるほど努力していたかな、と思う部分もあります。勉強していないから苦労していた、というだけだったのかもしれません。年齢を重ねていくうちに、自分は四段にはなれないのではないか、という気持ちが強くなった時期があります。仲の良い人たちも、自分が初段や二段の時は既に三段で戦っており、劣等感を抱いていました。師匠である杉本八段も、年齢的に厳しいということはわかっておられ、納得いくまでやったらいいのではないか、という言葉をかけてくださいました。
大学時代は一人暮らしをしていましたが、家事や学業との両立など、環境が自分には合っていなかった点もあるかと思います。大学卒業と同時に実家に帰って来た時、この時期までに昇段できていなかったら辞めようという話を両親とし、実際に辞める選択を現実的に考えた時、将棋への向き合い方が変わったと感じています。区切りを決めたことで、それまでは精一杯頑張ろうという気持ちがわき、そこからは集中して取り組むことができました。結果として2年間で初段から四段まであがることができ、環境を変え戻ってきて正解だったなと思っています。
プロになり周囲も喜んでくれました。自分でもびっくりしましたが、三段リーグ一期抜けに驚かれたことも多かった気がしています。
今後は、せっかくプロになれたので、タイトルに絡む活躍がしたいと思っています。憧れの先生は木村一基九段です。自分と同じく、奨励会時代に苦労されていて、その中でタイトルを獲られ、また獲るまでの道のりも紆余曲折ありながら、長期的に将棋に向き合ってこられたところを尊敬しています。
自分は勝負の世界で生きているので、勝つことぐらいしか楽しいことが無いという部分はあります。ですが、負けた時にどういう気持ちでいるか、どう楽しめるかが将棋を続けられるかどうかのポイントでもあると感じています。将棋だけに限らず、何かをやり続けていれば、着実に強くなるものだと思います。続けていくと意外と救いがあるのかなと感じます。

左から、J:COM田口、藤本渚四段、齊藤裕也四段

岡部 怜央 四段
(2022/9/11 子ども将棋大会東北大会内)

左から、J:COM田口、岡部怜央四段、藤井猛九段

受賞コメント

私が将棋を始めたきっかけは兄と祖父が指しているのを見て覚えて、地元の将棋教室でだんだん強くなっていったのは今では楽しい思い出となっています。
奨励会には12歳で入会し、鶴岡から3~4時間かけて東京に行き、将棋を指して深夜バスで帰り、翌日は朝から学校に行くという生活でした。負けたりすると関東の人よりも帰り道が長く、悔しい気持ちを人一倍味わったと思いますが、それが「やってやるぞ」というプラスの気持ちになったと思います。三段までは普通くらいのペースで上がっていきましたが、三段になってからの5年間はとても厳しい世界でした。特に昇段の可能性がなくなったリーグ戦の対局はモチベーションを保つのが難しかったです。
兄は奨励会に同時入会し、先に退会したのですが、東京に出てからは一緒に暮らし、生活のサポートなども含め私が棋士になることを全力で応援してくれました。兄には感謝していますし、自分も頑張らなくてはいけないなと思いました。兄は自分が棋士になったことをとても喜んでくれていると思います。
棋士になった後、思うように勝ってないので焦る部分もあるのですが、7割は勝てるようになり、活躍している若手棋士として周囲が思ってくれるようになりたいと思いますし、お世話になっている棋士の先生方と戦えるくらいになりたいと思います。9月22日に里見香奈女流五冠との棋士編入試験の対局があり注目されると思いますが、里見さんが人生をかけている大一番なので、その気持ちに失礼のない様に対局したいと思います。棋士になって間もないですが、良い経験になると思うので、頑張りたいと思います。
普段、対局の前日にはサウナに行ってコンディションを整えます。勝率が上がったりして、リラックスできる趣味ですね。あと棋士は勝負事が好きなんですかね、ポーカーをYouTubeで見るのにはまっています。将棋とは違う頭を使い、息抜きしています。
棋士を目指すからには奨励会に入ると思うのですが、自分が思うようには勝てない厳しい世界で、その中でも続けていけたのは、やっぱり「将棋が好きだ」という気持ちが一番大事だと思います。この大会に参加している子ども達も、将棋が好きだという気持ちで、これからも頑張ってほしいと思います。

参考:2022年9月12日 お知らせ(348KB)

左から、J:COM田口、岡部怜央四段、藤井猛九段

徳田 拳士 四段
(2022/9/25 子ども将棋大会中国大会内)

左から、J:COM田口、徳田拳士四段、山崎隆之八段、室田伊緒女流二段

受賞コメント

将棋を始めたのは、父と祖父が年末の大掃除で出てきた将棋盤で一局指していたところを自分が見て、やってみようと思ったことからでした。二人は普段まったく将棋を指さず、本当に偶然の出来事でした。小学生の時に、全国大会まである大きな大会で惜しいところで負けてしまったことがものすごく悔しく、その大会に優勝したいという思いで将棋を続けた記憶があります。奨励会では、同じ段で3,4年止まってしまったときが2回ほどあり、特に二段の頃に精神的にきつい時期がありました。この先にさらに厳しい三段が待っているのに、ここで何年も止まってしまっているようではプロになるのは厳しいのではないか、と思ってしまっていました。ただ、周囲は自分が思っているよりも悲観的ではなく、もし駄目でもまたその時に考えたらいい、と励ましてくれ、気楽に挑むことができました。またその頃大学進学等で環境が変わり、日々の生活を楽しめるようになったこともあり、苦しい時期を乗り越えることができました。
大学ではボランティアやスキューバダイビング等、様々なサークルで将棋以外のことにも触れながら過ごしました。その後大学を卒業し、周りの人が一人の社会人として苦労している姿を見て、自分だけ昔のまま変わらず停滞しているように感じました。みんな頑張っているから自分も頑張らないといけない、と、それが本気で棋士を目指す契機になりました。四段に昇段したことでやっと一人前になれたと感じ、プロ棋士というひとつの職につけたことで、自己肯定感も上がりました。
また、最近では、里見女流五冠の棋士編入試験の最初の相手としても注目していただき、自分が主役ではないものの、そのような対局を指せるというのは棋士冥利に尽きると感じました。自分のトップをその対局にもっていけるよう、良い成績で挑めるように、と、その直前までの公式戦もモチベーション高く挑むことができました。当日もきわどい勝負ではありましたが、なんとか勝つことができ、試験官として結果にこだわりたいと思っていた為、責務は果たせたかなと感じています。
将来的には、タイトルを獲得したいです。棋士になった以上は目指したいと感じていて、どんなに難しくても、限界まで挑みたいです。直近では、若手のトーナメントの決勝戦(加古川青流戦)があるので、そこに向けて頑張りたいと思います。
子どもたちには、将棋を楽しんでほしいと思います。将棋に限らず、それが一番大事だと感じます。この大会をきっかけに、もっと将棋を好きになってもらえれば嬉しいですし、何か一つ自分が夢中になれることを見つけてほしいな、と思います。

左から、J:COM田口、徳田拳士四段、山崎隆之八段、室田伊緒女流二段

2021年度 贈呈式

高田 明浩 四段
(2021/10/30 子ども将棋大会東海大会内)

左から、J:COM田口、高田明浩四段、杉本昌隆八段、室田伊緒女流二段

受賞コメント

第3回の千葉大会に参加させていただきましたが、その時は奨励会に入ることは決まっていたものの、まだ自分が棋士になれるのか不安な気持ちでした。今棋士となってこのような賞をいただけることをとても光栄に思います。
アマチュアの時は、数多くの大会に参加をしていました。J:COM杯をはじめ、小中学生向けの大会がたくさんあると思いますが、そういった大会にたくさん出ることや、自宅でネット将棋や、たくさん本が出ている詰将棋などでしっかり勉強することが上達の一歩になると思います。
奨励会では、自分が地方在住ということもあり、なかなか研究相手にも恵まれないことがあったのですが、東海地方の同じ奨励会員たちや、アマチュアの方々に声援をいただき、それを励みに棋士になることができたと感じています。「プロ棋士になる」という一番の目標は叶えることができました。これからも危機感をもって精進していきます。
尊敬する棋士には、藤井三冠がいます。インタビューでの受け答えや、将棋に対する向き合い方が素晴らしいと感じており、少しでも藤井三冠の姿勢を見習って強くなれたらと思います。藤井先生とは、小学6年生で奨励会に入った時から同じ研究会に所属しており、今まで4、50局対局をさせていただきました。小学生や中学1年生頃には、自分としては藤井先生を「ライバル」だと思い、一生懸命指していたことを懐かしく思い出します。
私は小学3年生で将棋を始めたのですが、この大会に参加されている方の中にはもっと若い方もいると思いますし、またそれ以上の方や、少し将棋を始めるのが遅かったという方についても、今はネット将棋や将棋ソフトもあるので、プロになる夢を諦めず頑張ってほしいと思っています。

参考:2021年11月1日 お知らせ(395KB)

左から、J:COM田口、高田明浩四段、杉本昌隆八段、室田伊緒女流二段

井田 明宏 四段
(2021/11/23 子ども将棋大会関西大会内)

左から、J:COM田口、井田明宏四段、横山友紀四段、福崎文吾九段

受賞コメント

このように賞をもらえる機会はなかなかない為、大変光栄なことだと感じています。
私は山口県に住んでいる時に将棋を覚えましたが、将棋人口が多くなく、将棋へ触れる機会も少なかったため、広島や大阪の大会に参加していたこともありました。
将棋大会は、子どもたちが一番強くなれる場所であると思います。昨今はコロナ禍で、対面で将棋を練習する機会もなくなってきました。自分自身も、普段やっていた練習が出来なくなり、調子が出ないこともあります。ネットで将棋が出来る時代とはいえ、対面で将棋を指せるということは何かしらプラスになる重要な機会だと思います。
自分の奨励会生活は、順調とは程遠いものでした。奨励会に入った年齢も遅く、昇級スピードも並みで、棋士になれるかどうか自分でも信じられない10年間でした。しかし、将棋以外を職業にする選択肢を考えられなかったので、可能性が低くても棋士を目指して頑張るしかないとずっと思っていました。
奨励会在籍中は、金銭的にも余裕がなく、また肩書としても何もない状態であった為、今回のような賞は、奨励会を卒業したばかりの棋士に向けた支援としてとてもありがたいものだと感じています。
棋士として、今後色んな人に将棋を見てもらいたいと思っています。その為には、自分がたくさん勝たなければならないと感じています。勝率7割を目指し、頑張りたいと思います。また、関東の山本四段が三間飛車に対し深い戦法愛を持っているように、得意戦法の第一人者になることも目標の一つです。
棋士を目指す子どもたちには、将棋を楽しむ気持ちが大事であることを伝えたいと思います。勉強の中にはやりたくないものもあるし、負けてしまって逃げ出したい気持ちになることもあるでしょう。でも、そういった時に、将棋を指すこと自体を楽しめれば無理なく続けられるし、そうしていけば、棋士になるという目標もきっと達成できると思います。

左から、J:COM田口、井田明宏四段、横山友紀四段、福崎文吾九段

横山 友紀 四段
(2021/11/23 子ども将棋大会関西大会内)

受賞コメント

実は第一回の地方大会に参加をしていた為、偶然に驚くとともに、うれしかったです。
自身が将棋を覚えたのは学童保育で、低学年の頃でした。そこから、小6ぐらいまで井上先生の教室に通いました。小学校の頃は広瀬先生を目標に、四間飛車を真似しはじめ、小5から奨励会3段まで同じ戦法を続けていました。奨励会の頃を振り返ると、伸び悩んでいた高校時代を思い出します。高校生の頃は、自分には将棋しかない、と思い苦しい時期がありましたが、大学生になり、様々な経験を通して視野が広がり、将棋以外から良い影響を受けることができたと感じています。その頃には戦法も変わり、藤井猛先生に憧れるようになりました。
この大会に参加しているお子さんたちを見ていると、最新(の)型を指していたり、自分の世代ではやっていた戦法があまり見られなくなっていたのが印象的です。
子どもとは思えない真剣さがあり、自分たちの時代よりも将棋熱心な子どもたちが多いと感じました。熱量そのままに、今後も頑張っていってほしいと思います。
今後の目標は、将棋を今後より一層楽しむことと、師匠である井上先生のような礼儀正しい人になることです。

狩山 幹生 四段
(2021/12/2 関西将棋会館)

受賞コメント

棋士となってこのような賞をいただけることを、とても光栄に思います。実は、自分も大阪であった関西大会に、小学4,5年生頃に出場していました。その時の経験がプロ棋士を目指すきっかけの一つとなったので、こうした賞をいただけることが大変感慨深いです。これから、いただいたスーツを大きな一番で着用できるよう頑張っていきたいと思います。
はじめは、祖父に将棋を教えてもらいました。そこからは、ネットで1年程指していて、小学2年生頃に初めて同い年位の子と対局することになりました。最初はなかなか勝てなかったのですが、教室に通い出してから勝てるようになり、将棋が楽しくなったのを覚えています。
奨励会には7年在籍していましたが、振り返ると苦しかったことの方が多いような気がします。
それでも、倉敷の先生方が昇段するごとにお祝いをしてくれ、それを励みに頑張ることができました。
同年代の藤井四冠とは、自身が藤井四冠の東海地方の友達と仲が良く、奨励会前に一緒に話をすることもありました。奨励会の会館で、藤井四冠が五段か六段だった頃に、高田くん(高田明浩四段)と一緒に泊まったことも覚えています。雲の上の存在ではありますが、親しく接してもらって優しい人だな、と思っていました。自身も藤井四冠のことを応援もしていて、また同時に目標の存在だと感じています。
今後の抱負については、まずは自分の力をつけて、目の前のデビュー戦等でしっかり良い将棋を指したいと思います。目標の棋士は、同じ岡山県出身の菅井先生です。将棋が強いのは勿論、菅井先生は地元にずっと住んでおられて、多忙の中でもファンの方々を大事にされています。そういったところを見習って目標にしたいなと感じています。今後も、奨励会の頃の気持ちを忘れずにがんばっていきたいです。
将棋が好きという気持ちがあるからこそ子どもたちは強くなると思うので、まず将棋を好きになってほしいと思います。また、強くなるには親御さんの協力も必要です。親御さんや周りの人に感謝の気持ちをもつことも強さの一因だと思うので、そういった部分も大事にしてほしいです。

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